横綱・稀勢の里の引退が報じられました。
起きてすぐニュースでこのことを知ったときは言葉が出てきませんでした。
しかし、心のどこかで覚悟していたことではありました。
昨日、三敗目を喫した時点で、「引退のニュースが流れるかもしれない」とドキドキして怖かったです。
ですから今日、引退と聞いて、ああやはりそうなってしまったのかと。
一瞬のショックののちに、すぐに納得と、潔い諦めの気持ちが胸に去来しました。
よく頑張ってくれた
稀勢の里はよく頑張ってくれたと思います。
応援する側からすれば、「もっとできるんじゃないの?」と思えるような、余力があるように見える状態で辞められるのが一番辛い。
けれど稀勢の里は、ちゃんと、「懸命にやっても勝てない」姿を見せてくれた。
あの姿を見られたことで、ファンも、未練に踏ん切りがついたと思います。
正直に言えば、今場所、横綱維持最低限ラインの10勝が絶望的になる(六敗する)までやってほしかったという思いはあります。
でも、もう、ここまでやってくれたなら十分です。
引退会見
(画像出典:2019年1月16日放送 NHK総合1 大相撲初場所四日目)↑引退会見では、それまで寡黙だった稀勢の里が、種明かしをするように、たくさん自分の言葉で語ってくれました。
思うように結果が出せなくなってもすぐに引退しなかったことについて、
潔く引退するか、横綱に上げてもらった(人たち)、そしてファンの人たちのために相撲を取るかというのは、いつも稽古場で自問自答していましたが、やはりファンのため、そして応援してくれる上の方のために相撲を続けようという判断になりましてやってきました
と説明がなされ、稀勢の里が、自分を応援してくれている人のために、休場が続いても引退せず、粘り腰で頑張り続けていたことがわかりました。
自分のことだけ考えれば、すぐ辞めるという選択肢もあったのですね。
でもファンのために、最後の最後まで諦めないでほしいという応援者のために、土俵を去らないでいてくれたのですね。
それは私としてはとてもありがたかったです。
生命を途中でバツンと断ち切るような終わり方ではなくて、できるなら、長寿まっとうの上での大往生のような、安らかな老衰のような、自然な終わり方を見届けたかったのです。
稀勢の里の、横綱引退に至る道のりは、無理のない自然なものだったと思います。
あのときの怪我が無ければとか、色々と、歯がゆい、悔しい思いがゼロというわけではありませんが、いつかは、必ず、訪れることだったから。
始まって、終わる。そしてまた新たな章が始まるんだなと思います。
悔いなし
私が大相撲を見るようになってから今年で六年目。
初めて大相撲をまともに見たとき、稀勢の里は大関に昇進してから二年目の力士でした。
あれからずっと、稀勢の里は「いて当たり前」の力士でした。
強すぎる大関でした。
横綱になる一歩手前で足踏みし続けて、最後の最後、勝ちきるために、取組前に微笑んでみたり、ニヒルな表情をしてみたり、様々な工夫をしていたことが話題になっていました。
そして劇的な横綱昇進劇。
新横綱での優勝。
その流れをリアルタイムで見守れて幸せでした。
私の土俵人生において一片の悔いもございません。
と言い切ってくれたことが救いです。
横綱としての時間は長くはなかったけれど、横綱になれて本当に良かった。
これから
(画像出典:2019年1月16日放送 NHK総合1 大相撲初場所四日目)稀勢の里は今後荒磯親方として後進の指導に当たることになると思いますが、稀勢の里のような誠実な力士が親方になってくれるのは喜ばしいことです。
たくさん苦労した分、人の心の痛みがわかる、良い親方になると思います。
稀勢の里には、「逃げたくても、逃げずに、最後まで力を振り絞って闘いきる勇気」を教えてもらった気がします。
私も、人生において、何事も「もうやりきった」と思えるところまで、「悔いなし」と言い切れるまで、努力しようと改めて思えました。
稀勢の里の人生、まだまだこれから。健康に気をつけて、長生きして、強い力士をたくさん育ててほしいです。
ありがとう稀勢の里!! 今後の活躍にも心から期待しています!! これからも、頑張れ稀勢の里!!
追記:親方として始動
<五日目の様子>稀勢の里が荒磯親方としての初仕事。国技館内の各部署へ挨拶回りをしていました。#sumo #相撲 pic.twitter.com/3c9D0rB3Gf
— 日本相撲協会公式 (@sumokyokai) 2019年1月17日
↑引退から一夜明けた今日、早速、稀勢の里が親方として初仕事をしている姿が日本相撲協会公式ツイッターで紹介されていました。
大相撲の世界って、稀勢の里が横綱になったときも、稀勢の里が優勝してから五日間のうちに横綱昇進決定から奉納土俵入りまで行われるというスピーディーさでしたが、引退後も翌日から親方として始動とは、寂しさも感じる暇もないくらいの素早さでありがたいです。