北海道名寄市出身の元・大関「名寄岩(なよろいわ)」の生誕100年記念展を、車で二時間かけ、名寄まで見に行きました。
前回の記事で、病と闘いながら40歳まで幕内力士として土俵に上がり続けた名寄岩の、「諦めずに何度も這い上がる」相撲人生を紹介しました。
今回はその他の展示内容を紹介します。
化粧まわし、書、座布団
↑まず、こちらは、名寄岩の「化粧まわし」。名寄岩の三男、進さんの所蔵品で、今回、生誕100年記念展のために特別に貸し出されたものです。
日本画家の「郷倉千靱(ごうくらせんじん)」が描いた、「朝日と波涛の柄」で、名寄岩も気に入っていたのだとか。この化粧まわしを締めた実際の写真がこちら。↓
↑昭和18年、大関昇進時の名寄岩です。白黒だと雰囲気がいまいちわかりませんが、化粧まわしの実物を見たことでカラー写真が想像できるようになりました。鮮やかな緑が、きっと名寄岩によく似合っていたでしょうね。
↑こちら、名寄岩の書。「砂付けて 男を磨く 相撲とり」。これは、「相撲甚句(すもうじんく)」(囃し歌)の「花づくし」という作品から取った言葉のようです。きっと、名寄岩の心に響く一節だったのでしょう。
『土俵のヤー 砂付け 男を磨き
錦をヤー 飾りて 母待つ故郷(くに)へ』(相撲甚句「花づくし」より)
↑その他、手形と、「忍」、「健康」。病気に悩まされた名寄岩でしたから、特に右下の「健康」という文字からは切実な思いが感じられます。
↑名寄岩が、土俵の下で使っていた「控え座布団」。力士が幕内に上がったときにやっと持つのを許されるもので、いわば「出世の証」。この座布団を持つことが全力士の一つの目標とも言えるのではないでしょうか。
初めて実物を見ましたが、大きく、分厚く、立派なものですね。
手ぬぐいには赤で「新築記念」とあり、どうやら、名寄岩が引退後に春日山親方となって春日山道場を新築した際、記念に配られたもののようです。
浴衣、名寄岩せんべい
↑春日山部屋の浴衣、浴衣地、名入りタオル。
↑浴衣には、よく見ると「春日山」を反転させた文字。渋いセンスが光ります。
↑こちら、「名寄岩せんべい」。名寄岩の引退後、昭和31年から昭和40年代まで名寄で販売されていたものだそうです。
↑見えにくいですが、化粧まわしを締めた名寄岩の立像が浮き彫りのようになっています。これを、引退後の名寄岩(春日山親方)は、中元や歳暮の時期に一括注文して支援者に贈っていたそうです。
この生誕100年記念展に合わせて復元展示されたとのことなのですが、販売はされていないらしい。せっかくだから食べてみたかったです。でも、小麦粉を使った「洋風せんべい」ということなので、味はなんとなく想像できる気がします。
遠藤に似ている?
↑「疎開の記念写真 昭和19年12月2日」と題された写真。ここに写る名寄岩が、「ちょっと遠藤に似てない??」と母と話題になりました。
(遠藤の顔画像出典:相撲増刊 角界の超新星 遠藤聖大 2014年 04月号 [雑誌])↑なんだかこう……目や鼻のあたりが……似ている……。
↑名寄岩のファンが、名寄岩が掲載された雑誌の記事をスクラップ保存していたものも展示されていました。名寄岩が、我が子三人を背中に乗せています。
『おとうちゃん、ヒヒーンってなくんだよ』『いやー、それだけはかんべんしてくれよ』
礼儀にはうるさい名寄岩も、我が子には甘いところがあったようです。
ジグソーパズル、等身大パネル
↑名寄岩のジグソーパズルなんてものもありました。
↑一部だけ崩して遊んでみましたが、これ、全部バラバラにしたらけっこう難しいと思いました。
↑「名寄岩の等身大パネル」。名寄岩の身長は5尺7寸2分、すなわち約173cmで、力士としては小柄です。
私は身長161㎝ですが、横に並んで立ってみると、名寄岩の目線が私とあまり変わらない位置にあるように思え、こんな身長で並み居る強豪力士と闘い大関までのぼり詰めたのかと驚きました。
ただ、身長は高くないですが、全体的な体格はさすがにがっしりしていて、迫力があり、写真なのに、横にいるとなんだか怖かったです(笑)。
手形、足形
↑名寄岩の実物大手形。あまり大きくはないですが、きっと肉厚で、突っ張りの威力はものすごかったのでしょう。
↑名寄岩の実物大足形。28.5cmだそうです。かかとが大きくてしっかりしていますよね。
名寄巡業のチラシ
↑昭和38年、名寄岩が引退して春日山親方として活躍していた頃に開催された名寄巡業のちらし(小児麻痺療養施設マザーズホーム寄附興行)。
なんと、あの横綱大鵬(たいほう)や柏戸(かしわど)を始めとして、総勢550人の力士がやってきたらしい。名寄にそれだけの力士が来たとは、今じゃ信じられない気がします。
↑こちらのちらしは、前回の巡業から八年後の昭和46年、その年の1月に亡くなった名寄岩の追善供養として名寄で開催された場所のもの。
前回の横綱は大鵬でしたが、今回の横綱は北の富士。相撲界の時代の移り変わりを感じます。
↑それ以後も合計四回の名寄巡業があったようで、板番付が残されていました。最後は平成12年(2000年)で(写真左上)、横綱・貴乃花や、曙、武蔵丸らが来たらしいのです。この事実には私もびっくり。
↑最後の名寄巡業で撮られた写真。名寄岩の銅像を背景に、横綱の曙と武蔵丸(貴乃花はどこにいたんだろう……笑)。
2000年といえばけっこう最近で、相撲に疎かったとはいえ「貴乃花や曙、武蔵丸」くらいは私でも知っていました。そんな人たちが名寄という近場に巡業に来たのを、まったく知りませんでした。(その頃ちょうど大学生で、東京にいたせいもあるかもしれません)
今後再び、名寄巡業なんてのが開催される日は訪れるのだろうか?? 名寄岩も世を去って久しいので、実現性は低いようにも思えますが……でも……今度もし名寄巡業があったら、行くぞ!!
映画「涙の敢闘賞」
↑最後は「映像で見る名寄岩コーナー」。名寄岩に関する番組三つが視聴できるようになっていました。その中に、映画「涙の敢闘賞」もありました。
映画は、全部で90分。17:00の閉館時間が迫っていたので、早送りや早見を駆使して、30分で全編を視聴(笑)。
淡々としたドキュメンタリータッチの映画で、名寄岩本人が主演なこともあり、名寄岩の力士としての晩年の様子がよくわかりました。
特に印象的だったのは、名寄岩が二回目の入院をしたときのシーン。「どうしても相撲を取りたいんです」と診察室で懇願するのですが、それを静かに聞いていた医者に「絶対に、ダメです。ダメですからね」と念を押されます。
病室に帰ってきた名寄岩は、そこに置いてあった小さな木の椅子をけっ飛ばして破壊し(笑)、ベッドに転がり込んで「チクショウ、チクショウ!」と悔しがります。
ベッドに横たわる名寄岩のごろんとした背中がなんとも可哀想でした。しかしその後、名寄岩は病を抱えながらも勝ち越し、十両陥落をまぬがれ、敢闘賞を受賞するんですよね。すごいです。まさに「涙の敢闘賞」です。
堪能できた
こうして、二時間ほどかけ、「名寄岩生誕100年記念展」を堪能することができました。この記念展を見なければ、ここまで名寄岩のことを知ることは不可能でした。
せっかく縁のある力士です。今回来られて本当に良かったと思いました。
次回、名寄岩の人柄を偲ばせるエピソードを紹介します【その4に続く】。