2024年11月20日、NHK大相撲解説者で元横綱の北の富士さんが亡くなったと報じられました。
ついこの間、尾車親方(琴風さん)が大相撲界に解説者として返り咲いて、寂しい話題が多い中で嬉しい話題だと喜んだばかりだったのに、それから日を置かずして、ずいぶん寂しい、寂しすぎる話題が来ちゃったじゃないですかああーーーー(泣)!!
北の富士さあああああん!!(泣)
覚悟はしていた
いつか、こんな日が来てしまうんだろうことは、わかってはいたんです。
人には寿命がある。北の富士さんは近年、実況解説者として出演なさるときもお疲れの様子だったし、ついに2023年の春場所からは療養のためお休みに入ってしまって、いつか、きっと、復帰して下さることを期待しながらも、もう、場所中に何日もご出演していただくことは難しいかもしれないし、もしかしたら、このままお姿を見られなくなるかもしれない……。
いやしかし。それでも。少しでも長く。北の富士さんの元気が保たれて、あの解説を、また聞ける機会がありますように。
そう思っていたのですが……。ついに……ついに、この日が来てしまったのですね。
寂しい
一言で言うと、寂しい。
放送席のあのお洒落な姿をもう見られないなんて。新たな解説を聞けないなんて。
北の富士さんの笑顔の近影を優勝額にして国技館に飾ってほしい。あるいは、北の富士さんの等身大パネルを放送席の後方に設置してほしい。そしたら、いつも北の富士さんの存在を感じられるような気がするから。そんなことを思ったりしました。
温かみがあった
北の富士さんの解説の何が好きだったかって言ったら、温かみなんですよね。
大相撲に対して、力士に対して、愛情があった。それが解説ににじんでいて、聞いていて心地良かったです。
遠藤が初めて膝に大怪我をした日、ちょうど解説は北の富士さんだったのですが、「中途半端に出てこず徹底的に治せ」と親身になって心配してくださっていたのが心強かったです。
厳しさも良かった
力士としてダメなことはダメとはっきり言う厳しさも良かったです。
相撲協会を離れていて、あまり発言に気を遣う必要がなかったおかげもあるのかもしれませんが、それでも、厳しいことを言えば、その力士のファンからは反発があるかもしれない。それでも、苦言を呈してくださったのは、やはり大相撲を愛するがゆえなんですよね。
大相撲の、力士の、素晴らしい伝統が壊されないように、誰かから嫌われるかもしれないことを覚悟で正しいことを言ってくださった。
人間くささ
あと、解説者という公平性が期待される立場でありながらも、北の富士さん個人の力士の好みが出て、稀勢の里なんかをわりとおおっぴらに応援していたりするところも人間くさくて好きでした(笑)。
私も稀勢の里ファンだったので、北の富士さんと同志になったような気持ちになれました。
稀勢の里が大関で長らく留まっていた頃、「稀勢の里を横綱にする会」の会長だと、ご自身のことをおっしゃっていた北の富士さん。
その会があったときのことが、ついこの間のことのように思えるのに、もう稀勢の里は横綱に昇進した上で引退して、親方として歩んでいるんですよね。
でも私の中では「稀勢の里を横綱にする会」は永遠です。会長はずっと北の富士さんです。
一つだけ意見の相違
北の富士さんとは大体意見が合っていたのですが、一つだけ、明確に異なっていたものがありました。
それは、遠藤の四股名について。
北の富士さんは、遠藤という四股名について、ちょっとどうなの? とおっしゃっていたのです。
追手風部屋には「清水川」という、代々受け継がれてきた、伝統ある良い四股名があるんだから、それを名乗れば良いのに、と。(*1)
遠藤という四股名を気に入っていた私は、えーっ、「遠藤」に馴染んじゃってるから遠藤が良いなあ、と思って、その点だけは北の富士さんと意見が違うなと思いました(笑)。
でも、北の富士さんからすれば、「遠藤」というのはあまりにも「名字そのもの」で、四股名としての豪華絢爛さが無く、遠藤が力士として素敵であるゆえに、「遠藤」のままでは惜しいと思ってくださったのでしょうね。
そんなお気持ちも、今となってはありがたいです。
(注*1:上記、北の富士さんの言葉は、メモを取っていたわけではないので完全に正確ではないですが、主旨はそのようなことをおっしゃっていました。)
北の富士という力士を改めて知る
しかしながら。こうして北の富士さんを
wikipediaで北の富士さんの略歴を読んだことはあったのですが、じゃあ、北の富士さんの師匠は誰だったかとか、優勝は何回しているかとか、いざ聞かれると答えられない。きちっと把握できていないんですよね。
改めて調べると、師匠は「千代の山」(北海道出身の、元横綱)。
北の富士の幕内最高優勝回数は十回。
こうして知ると、千代の山という力士にも興味が出たし、十回も優勝したなんてすごいなあと、北の富士の力士としての力量に感心もします。
古い力士だった
そして、さらに驚いたのは、北の富士って、大鵬と対戦経験があるんですよね!!
なんと、大鵬が横綱だった時期に、北の富士も横綱だったのです。
私からすると、大鵬っていうのはもう遠い昔の力士で、まさか、北の富士と力士としての年代がかぶっているとは思っていませんでした。
北の富士ってそんなに古い力士だったんですね。解説者としてのお姿がすごく若々しくて、六十代くらいに見えるほどだったので、大鵬時代の力士とわかって驚きました。
そんなの、レジェンドじゃないですか。大相撲の歴史を肌身で知る人物だったのですね。道理で言葉に重みがあるわけだわ~~。
北の富士さんを心の中に生かす
北の富士さんがご存命の間は、やはり「今」の北の富士さんに目が行って、あまり過去に注目する気になれませんでしたが、これからは北の富士さんの
そういうのを知ることで、自分の中で北の富士さんがリアルに生き生きとしてくると思うのです。
私は過去に
北の富士さんのことも、よく知ることで、きっといつでも心の中に蘇らせることができるようになって、側にいると思えるようになる気がしています。
北の富士さんは大相撲の中に
力士を引退してからも、親方として、解説者として、最晩年まで大相撲界の最前線にいてくださった北の富士さん。
大相撲を深く愛し、そして、大相撲に愛された人物だったのだろうと思います。
北の富士さんが愛情をかけた「大相撲」。そのエネルギーの中に、北の富士さんは生き続けてくれると思います。
琴櫻に重なる北の富士さん
北の富士さんのおかげで大相撲を見るのが楽しかったです。本当にありがとうございました。
今場所、琴櫻が優勝したのを、きっと北の富士さんもご覧になりましたよね。
ちょっと調べたら、先代の琴櫻(現・琴櫻の祖父)は、北の富士さんと同時代の力士(横綱)だったんですね。
それを知ると、「今の琴櫻」に「先代の琴櫻」が重なり、そこに、先代と闘った北の富士さんまで重なって感じられて、なんだか土俵上に間接的に現役時代の北の富士さんが現れたような気持ちにもなりましたよ。
そういうところ、大相撲って面白いですよね。
感謝
稀勢の里に続く日本人横綱の誕生なるか?? というムードが出てきて、大の里という有望株もいるし、来年の大相撲も楽しみになってきました。
北の富士さんがいたらどうお話しになったかな……と想像しつつ、これからも、心の中の北の富士さんとともに、大相撲を楽しんでいこうと思います。
今は恐らく、ご両親など、懐かしい方々との再会でお忙しく、あまり大相撲にも構っていられない状況だとは思いますが、本場所にはきっと遊びにいらしてくださいね!! 姿は見えなくとも、観客席のどこか、または放送席にいらっしゃると信じていますから。
北の富士さんと同時代を生きられたこと、嬉しかったです。
本当に、ありがとうございました!!